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いばらきコープ生活協同組合 新潟中越地震災害支援報告(2004年12月)

この度の新潟県中越地震により被害を受けられた組合員さんと、地域の皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。一日も早い復旧と皆さまのご健康を心よりお祈り申し上げます。

新潟県生活協同組合連合会(県生協連)の呼びかけで、11月8日から10日の3日間の災害支援に参加しました。8日、水戸本部で出陣式をし、その後水戸センターに立ち寄り、配送トラック2台、参加職員4名で新潟総合生協中越センターに向かいました。途中、昼食休憩やドライバー交換のための休憩を取りながら走行距離370キロ、6時間かけて夕方4時前に到着しました。

(右写真:日本でも有数の豪雪地帯。中越センターの配送トラックはすべて4WD。一部、車高の高いものもあります。まさに雪国ならではの配送トラック )

総合生協は、1955年に創立、県内労働組合、労働福祉団体、地域共済会、家庭班などに結集する42万人(共同購入は7万人)が加盟し、組合員の明るく豊かな暮らしを目ざし各種事業を行っています。
支援に入った中越センターは、新潟県内7ヶ所ある配送センターの中で最大の規模と配送エリアを持ち、被害が深刻な小千谷市、十日町市、長岡市、川口町などを担当しています。
到着後、総合生協組合員活動課の小畑さんより翌日からの支援内容の説明があり、組合員の安否確認、被災地への配送支援、救援物資の横持ち活動を行うことになりました。横持ち活動とは、全国から被災地の災害対策本部に届けられた救援物資を各集落の避難所へ搬送する活動のことで、一緒に参加した組織部・松尾さんが10日にこの活動支援をしました。

明日からの支援内容の説明終了後、センター全体終礼で支援者の紹介がありました。終礼後、センター2階の会議室へ案内され、すでに到着していたコープネットの職員4名と寝泊りをすることになりました。
会議室には各地からたくさんの支援物資としてインスタントの米や味噌汁、パンや飲料などが準備され、組合員さんからの手作り味噌汁や漬物まであり、支援に来たのに、逆に支援?応援されていることと、こんなに優遇された環境でいいものだろうかと疑問を持ちました。
就寝後、夜中に何度も揺れ、明け方に震度5弱を経験しました。地震がある度に目が覚め、眠れない夜を過ごしました。毎日のように余震が続く被災地の方々は、熟睡できないだろうとこの一晩にて、被災地の精神的な苦痛を体感することができました。

(左上写真:中越センターの事務所入口。朝になると各地から支援に集まった生協職員で賑わいます。)


■■11月9日(火)■■
 この日は、組合員の安否確認のために長岡市内へ。朝礼後、総合生協支援タスク(いばらきコープの拡大タスクと同じ業務)の高橋さんから説明をうけて、ライフライン(電気、水道、ガス)や組合員さんと家族の安否確認を中心に支援活動に入りました。また、会うことができた組合員には、手袋と携帯カイロを渡して欲しいと指示がありました。
 栗原はハイコープから支援に来ていた平野さんとペアになり、市内を歩いて組合員宅を1件1件訪問、約30軒を訪問しました。
 訪問した長岡駅周辺は、被害が比較的少なく、駅前という立地から考えると、高層ビルがほとんどない住宅地でした。徒歩で移動しながら見る町の風景は、普段と変わりない生活をしているように見えました。しかし、組合員に会うたびに、見えない不安を感じることができました。家の片づけをしていた組合員さんは「外からみた家は、何ともないけど、2階に家具や電化製品が倒れて、数日前まで1階への荷降しをしていました。家の中がひどいんです。だから買物にも行けず、生協の配達があって助かっています。」また、ある高齢の組合員さんは「生協さんが配達に来てくれるだけで助かります。先日はバナナまでいただきありがとうございました。毎回やさしい言葉をかけてもらっています。」と話してくれました。また、話のできた組合員さんに、手袋か携帯カイロを渡そうとしたのですが、皆さん口をそろえたかのように「私は大丈夫です。被害の大きかった地域の方に渡してください」という言葉が印象的でした。

安否確認終了後、高橋さん無理をいって、被害の大きい地区を案内していただきました。その地区に近づくにつれて、道路の陥没、倒壊した家屋、崖崩れがひどくなり、日中の被災状況とは全く違う地域に向かっていることを回りの景色から判断する事ができました。
安否確認を行った長岡駅前から数キロと離れていない高台にある住宅地。家は崩れ、ライフラインも完全に確保ざれず、いくつかある公園の避難所にはたくさんの方が避難生活していました。その状況を横目にテレビや新聞でも報道されたという家屋と崩れた道路。重い雰囲気が私達を包みました。カメラを持っていた私は、さすがにその状況を記録することにためらいを感じ、なかなかシャッターを切ることができなかったことを、今でもはっきり覚えています。
被災の大きさを実感し、支援1日目を終了しました。

(右上写真:住宅内の道路は崩れ、家屋は傾き、路駐してあった車がガケ下に)

組合員の安否確認をするにあたって、「組合員さんがどのような状況にあるか分かりませんので、言葉使いと、より多くの組合員さんと会話をしてきてください。そして被災された方の心労をいたわってあげてください」という支援タスク高橋さんの言葉が、被災地の生協で取り組む重要な役割のひとつだと感じました。


■■11月10日(水)■■
支援2日目は、南魚沼市への共同購入配送支援となりました。パート職員(いばらきコープの一日さわやかと同じ業務)の細貝さんのトラックに同乗支援となり、9時の朝礼後、10時まで積み込み作業をして出発しました。
配達先の南魚沼市は、北陸道長岡インターから高速道路に乗り、六日町インターを降り、約1時間かけて1班目に到着する配送コースです。
配送に使用している北陸道は、路面が波打ち、片側一車線走行と速度制限が入っていました。「今週は通行できるのでいいのですが、先週は通行止めになっていたので、1班目に到着するのに2時間以上もかかりました。」と先週の苦労をこぼしていました。また、配送が終了して帰協するのも8時過ぎになる担当が多かったそうです。

配達先はところどころ壁や屋根が壊れた家はあるいものの、被害はそれほど大きくなく、班でも「今週は早いのね。いつもの時間と変わらないわよね!高速は通れたの?」と気遣いをしてくれる方も多く、組合員さんの生活も普段どおりになりつつあるようでした。
しかし、そのような会話とは逆に「夜は怖くて近くの避難所で寝ているの」と言う方もいました。  
そんな配達先での会話の中で、一人暮らしの組合員さん(女性・60歳後半くらい)と話す機会がありました。当時の地震の様子やご近所との助け合い、生協をはじめとする災害支援の方との会話。その中でも地震で亡くなった愛猫のことを私達に話してくれました。「あの子(猫)が倒れてきた食器や時計から身をていして私を守ってくれたのです。あの子のおかげで私はこうして、元気にいられるのです。」と涙を流しながら話してくれました。この話を聞いて、被災者の心のケアがこれから重要になってくるのだろうと感じました。

(左上:左奥が仮設住居。夜だけ仮設住宅で寝ている方が多い。就寝中の地震と、眠れない夜が続いている。)


配送は昼食なしで43班を行い、3時半に終了。その後に簡単な昼食を摂りました。ほとんどの担当がこのスタイルで配送しているそうです。細貝さんのコースも高速道路で帰協する時間を考えると、このスタイルで配達をしないと時間内に終わらないという厳しい状況でした。
配送コースは無人班が多いものの、非常に効率の良い配送コースでした。注文書も80枚回収し、うち白紙は4枚、前週よりも3割増しの回収結果でした。「未提出者へ、安否確認も含めセンターに帰って電話連絡してみます。」と帰協後の仕事が山積みのことを話してくれました。
帰りのトラックの中で、この間の配送して感じたことを細貝さんに聞いてみました。「今回の震災で募金された見舞金の使い道が知りたいです。見舞金がどのように、分配され使われるのかが知りたいです。」この言葉の裏側には、たくさんの被災者や現場を体験した細貝さんの少しでも多くの被災者を助けたいという願いが込められているようでした。土曜日にも組合員の安否確認を行う予定になっているそうです。

(右上写真:無人班が多く、1階は駐車場、2,3階が住居という家が多い。このお宅の玄関は外と内と2重になっていた)

今回の災害支援に参加して
総合生協の職員・パートのみなさんは連日9時過ぎまで注文書の確認と安否確認を行っていました。この作業が震災後ずっと続いているそうです。職員の中にも自宅や身内の家が崩壊している方もいるようで、本来なら被災者なのに・・・。しかし、その職員は組合員が待っているから! 組合員のために少しでもお役にたつことをしたい、この仕事の中(生協)でできることがあると、疲れも見せず頑張っていました。
「組合員のために生協ができること」この気持ちが、総合生協の今を動かし、一致団結しているような気がしました。あらためて生協の助け合いの精神と存在意義の重要性を認識しました。
今後も、被災地の一日も早い復旧を願いながら、いばらきより応援しつづけたいと思います。

 

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